何度も読み返している宮城谷さんの三国志からの抜き書き。
過去にも何度か取り上げているのですが、自分のためのメモです。まずは第一巻。
- 作者: 宮城谷昌光
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2004/10/13
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それにしても、この四人はそろって年齢が高い。全員が六十歳に近かったといってもまちがいないであろう。とはいえ、この四人は学問で心胆をきたえてきている。陳禅と張皓は春秋などを修めた学友であった。学びつづける者は老いぬのである。
学びつづける者は老いぬ。
学びつづける者は老いぬ。
大事なことなので二回言いました。
年とって頭が回らなくなった、などと言っている場合ではない。また若くても学ばない者は既に老いているといえる。
学びつづける者は老いぬのである。
楊震は表情に厳色をくわえた。
「天知る。地知る。我知る。子(なんじ)知る。たれも知らないとどうして謂えるのか」
これが四知である。
どんな密事でも天が知り、地が知り、当事者が知っている。それが悪事であれば露見しないことがあろうか。
これが四知である。
鄭衆が亡くなった元初元年に、龍亭候に封じられた宦官がいた。食邑は三百戸である。この宦官の名は、鄭衆の名を知らない日本人でも知っている。
蔡倫(さいりん)
という。紙の発明者である。
紙という偉大なメディアの歴史は2000年以上。
ところで、洛陽城には十二門あることは前述したが、それらは城壁に設けられた門であり、宮城内にも門はおびただしくあり、なんとその数は、
「一万一千二百十九」
であったといわれる。
たぶんに防衛上の理由があるとはいえ、例えば組織の中に「門」が増えすぎると組織は硬直化してしまうんだろう。
かれらの豊富な知識が生む理屈は、腐った沼の底から浮き上がってくる泡のようなもので、王朝に悪臭をひろげるにすぎない。かれらがとなえる正義は、自身のいのちとひきかえにするほどのすごみをもたないから、王朝のなかの騒音にすぎない。
理屈ばかり多くても、解決できなければどうしようもないのです。
王朝にかぎらず組織というものは、年月が経つと、自身を腐らす毒をつくってしまうのかもしれない。順帝は聡明な皇帝であったが、よく人をみぬくその目も、梁商の嫡子の正体までみぬけなかった。その嫡子こそ、
梁冀(りょうき)
と、いい、のちに洛陽を破壊する董卓の悪逆さえ、かれの悪行のすさまじさにおよばないであろう。中国の長い歴史の中で十人の大悪人を挙げるとすれば、梁冀はかならずそのなかにはいる人である。まさに梁冀は時代と組織の衰退が産んだ悪霊といってよい。
梁冀。考えるだに恐ろしいこの人物が王朝の中枢に座ることになってしまうのは、なぜなのだろう。
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読むたびに、抜書したくなる箇所は変わるのものですが、今回はここまで。
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