抜き書き第十一巻。
司馬懿の時代。そして魏呉蜀が崩壊していく過程。
もうすぐ第十二巻が刊行され(2013年9月)、その巻をもってついに完結する。
訒艾は農業について識らねばならない立場にいたが、土と地形についてみずから学んだ。それゆえ高い山や大きな沢をみるたびに、
「軍営を設置するのは、どこがよいか」
と、いって、みずから測量して図面を作った。それをみていた者たちは、
「おいおい、またはじまったな。あいつは、将軍かよ」
と、冷ややかに嗤った。
軍営をどこに設置するかについて、決定権は将軍が持っている。地方の卑官が関心を持つことではない。
が、たとえ嗤われても、訒艾はそれをやめなかった。
人はいつ僥倖に遭うかわからず、天佑はいつくだるかわからない。そのときになってはじめては、まにあわないことがあり、それこそ人生の要所であり、分岐点になり得る。人の価値は、何も起こらない時間、平凡な時間を、どのようにすごすかによって決まる。
これを親切とうけとったものの、管輅は何晏を恐れなかった。会ってはいないが、何晏がどの程度の人物であるかは、わかっている。ことばの巧妙さは、道理の奥深さを知っている現れではなく、議論において相手を攻撃するためにあるだけである。議論好きであること自体が、その知識の浅さを露呈している。
君主というものは好悪を露呈してはならない、というのが、戦国時代の思想家である韓非子の箴誡(しんかい)である。
ーー人があってこその地だ。
と、司馬懿はいった。
たしかに政治には理想があってもよいが、それが強すぎると失敗する。後漢王朝のまえの新王朝を樹てた王莽は徹底的に儒教国家をつくろうとして失敗した。儒教を毛ぎらいし、ほとんど学問しなかった劉邦が樹てた漢王朝が、あれほど長くつづいたことを想うと、どうやら政治とは思想の産物ではなく、感覚の所産である。
- 作者: 宮城谷昌光
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2012/09/01
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログ (2件) を見る