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抜き書き〜宮城谷昌光 三国志 第九巻

抜き書き第九巻。
曹操劉備亡き後の巻です。

これが手遅れであろうとなかろうと、しなければならぬことを間髪を入れずにするというのが司馬懿である。

宮城谷昌光 三国志 第九巻 「孟達」 63p)

孫子は、兵(戦い)とは詭道である、といった。詭道とは、人を騙す方法をいう。だが、武人には共通の倫理があり、戦場でもちいる詭道を生き方にもちこまないということである。それをやれば君主を裏切り、師友を失い、配下や臣下を棄てることになる。すなわち人として立ってゆけないことになる。

宮城谷昌光 三国志 第九巻 「曹休」 146p)

かれがもっとも好んだ書物は『春秋左氏伝』であり、毎日かならず読み、ひと月で読み終えては、また読みはじめるという読みかたであった。それほど、『春秋左氏伝』には人と族と国家の盛衰が魅力的に書かれている。かれはこの書物に、倫理あるいは礼の力と人または国の命運の諸相を学び識ったのではあるまいか。

宮城谷昌光 三国志 第九巻 「陳倉」 153p)


ここにいう「かれ」とは、賈逵(かき)のことです。

卑劣な手段でも敵国の軍に勝てばよいとする孫権の思想は、呉という国の限界を示しているといえる。その思想のなかでは、道義が育ちようもなく、つねに敵の裏をかくことが良いという習性が生じ、けっして大計は生まれない。

宮城谷昌光 三国志 第九巻 「陳倉」 157p)

戦国時代に范雎という理論家は秦王に拝謁して、
「遠国の軍に勝ち、敵将を殺し、二千里をひらいたところで、けっきょく一尺一寸の領土も得られない。なぜなら占領しつづけることができないからである。すなわち遠きに交わり近きを攻めるのが最善であり、一寸取れば一寸の得、一尺取れば一尺の得となる」
 と、説いた。これは点と点とを結んで直線を伸ばしてゆくような旧い兵法を否定し、かならず三点を取って面を作り、その面を増やしてゆくという画期的な攻略方法であった。

宮城谷昌光 三国志 第九巻 「陳倉」 177p)

諫言を受けとる者は、実のところ、不快をおぼえるであろう。曹丕のように、諫言を憎み、諫言をおこなった者を誅罰する君主はすくなくない。だが、諫言をおこなう者も、実は不快なのである。

宮城谷昌光 三国志 第九巻 「221」 曹真p)

ただし儒教においては兵略はほとんど無視されている。たとえば『論語』にこうある。
孔子の弟子のひとりに子貢という者がいた。あるとき子貢は師に、
「政治とは何でしょうか」
と、問うた。孔子はいった。
「食料を十分にすること。軍備を十分にすること、人民に信頼してもらうこと、である」
「どうしてもはぶかなければならないとしたら、その三つのうちのどれを先にしますか」
「軍備を罷めることである」
と、孔子はいった。
「残るふたつのうちでは、どうでしょうか」
「食料を棄てる。昔からたれにでも死はある。人民に信頼されなければ、政治は成り立たない」
そういった孔子の理念は、つねに内を固めることからすべてが発するというもので、家族の関係をもっとも重視し、そのつぎに君臣、師弟、友人などの関係を置いた。孔子には、人と人あるいは国と国とが争う状況が想定された発言はほとんどなく、戦略的な発想は否定され侮蔑されている。したがって、後世の者は儒教をどれほど学んでも、戦いに活かす知識は得られないということであった。

宮城谷昌光 三国志 第九巻 「天水」 241p)

陳羣の視界の広さは、ここにもあらわれている。
現状だけを視て憂えているわけではない。その視界には過去も未来もある。この諫止の風景は、殷の末期の一風景に似ている。箕子という賢臣は、殷の紂王が象箸(象牙のはし)をつかうようになったことを知り、殷の滅亡を予知した。
ーーその程度のことで・・・。
と、人が軽視するようなことを、重大事と認識して未来を的確に視ることを、先見の明、という。

宮城谷昌光 三国志 第九巻 「遼東」 303p)


三国志〈第9巻〉

三国志〈第9巻〉

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