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抜き書き〜宮城谷昌光 三国志 第十巻

抜き書き第十巻。
この巻で諸葛亮は陣没。

満寵

満寵が軍事におけるもろもろを体感したのは、曹操のもとにあったときであろう。曹操の目のつけどころ、洞察のしかた、予見などを満寵は観得しようとしたにちがいない。すなわち満寵はただ曹操に使われていたのではなく、自主性をもって働いていた。わかりやすくいえば、たとえ属官であっても、自分が高官になったらどうすべきか、将軍になったらどうすべきか、などと考え、曹操に仕えたということである。
ーーすぐれた人になるには、すぐれた人にあわなければならない。
自明の理というべきであろう。

宮城谷昌光 三国志 第十巻 「満寵」 45p)


すぐれた人になるには、すぐれた人にあわなければならない。身も蓋もないほど自明の理。

「先年、天子から賜った酒は、これよりもくせがないのに、こくがあった。上には上があるということである。人も同じよ。上を知らねば下がわからず、下を知らねば上はわからぬ」

宮城谷昌光 三国志 第十巻 「満寵」 57p)

諸葛亮

ーー丞相はこまかなことを、おろそかにしなかった。
それが政治である、と一言でいえる。

宮城谷昌光 三国志 第十巻 「孔明」 99p)

諸葛亮の偉大さは、死去したあと、年を経るたびに追慕される量が大きくなったことにある。なんとこの敬慕は、時代を超え、国を超え、海さえ踰えて日本におよんだ。中国史上の人物で、日本人がもっとも敬愛するのは、諸葛亮であるといってよい。

宮城谷昌光 三国志 第十巻 「孔明」 125p)


諸葛亮は真面目な人だと思う。


その他

とはいえ、まだ公孫氏が戦っていて滅んでいないのに、倭国の女王が曹叡へ朝見の使者を送りたいと帯方郡の太守に打診した速さにはおどろかされる。海を越えてゆく情報のありように神秘さえ感じられる。とにかく倭だけではなく中国の外にある国々の情報網のしきかたは予想以上に精密であったにちがいない。

宮城谷昌光 三国志 第十巻 「曹叡」 221p)


邪馬台国卑弥呼の使いが魏に到達したのは、諸葛亮の死後、7年後のことである。

他人のことばをすなおにきくことが、耳順である。五十歳で天命を知った者が、十年後には、他人のことばにさからわなくなる。それほど孔子は他人のことばにさからって生きてきたということになる。

宮城谷昌光 三国志 第十巻 「赤鳥」 297p)

三国志〈第10巻〉

三国志〈第10巻〉

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