抜き書き第六巻。
諸葛亮が登場する巻です。
曹操
曹操は歴史から教訓を抽きだしつづけた者であり、その勤勉さによって活用された者はすくなくあるまい。いわば、曹操には文化力がある。文化は精神の光源となりうる。その明るさにひきよせられた人は多いであろう。
さて、烏桓討伐を終えて〓に帰着した曹操は、さっそく、
「まえに北伐を諌めた者の氏名を書きだせ」
と、命じた。北伐は成功したのである。その遠征に反対した者は処罰されるにちがいない、と多くの者が懼れた。ところが、呼びだされた者には厚賞がさずけられたのである。
曹操はいった。
「わが遠征は、危険にみちており、僥倖があったにすぎぬ。成功したのは、天の佐けがあったためである。それゆえ常にそのようにうまくゆくはずはない。諸君の諌めこそ、万安の計である。賞するにふさわしい。今後も発言をひかえないでくれ」
この心づかいが政治というものである。
この巻でも曹操に対する賞賛は続く。
劉備
一事が万事、劉備とはそういう人である。戦いに敗れれば城地どころか家族や配下さえ棄てて逃げるということをくりかえしてきた劉備には、徒手空拳の哲理がある。積善積徳をもって人格の頂点をめざそうとする儒教思想とは対極にあることはいうまでもない。捨てて、棄てて、損てつくすという精神のありようは、老荘思想にもなく、あえていえばそれは仏教の真髄であり、仏教が中国に定着したとはいえないこの黎明期に、劉備は仏教にかかわりをもたぬとはいえ高僧のようであった。
おそらく劉備はこれまでどのように生きてきたかということに無関心であり、これからもそうであろう。それゆえ劉備には失敗も成功もない。それらは人為の痕跡であり、劉備はその上に立たない。すなわち劉備に過去はない。ゆえに未来もない。現在、生きている人は未来にむかってすすんでいるようにみえるが、実は過去を鏡として未来をながめ、背を未来にむけてすすんでいる。諸葛亮とて例外ではない。が、劉備だけがちがう。だから稀有な人なのである。
劉備という人の不思議さ。
孫権
「孔子はこういわれた。終日、食事をせず、寝ないで、思考しても無益である。学問するにこしたことはない、と。光武帝は兵馬を動かしているあいだでも、手から書物を離さなかった。曹孟徳は老いてますます学問を好むようになったと謂っている。卿だけがなぜ学問に励まないのか」
こう熱く語った孫権はまだ三十歳に達していないが、人生のどこかの嵎で、
ーー学問とは、これほど益があるのか。
と、心がふるえ骨が鳴るほど痛感したことがあるのであろう。
ーーなるほど、自分で考えるより、読書するほうが楽だ。
呂蒙は読書の楽しみを知った。
そのほか
韓を出身地とする思想家では、韓非子がもっとも有名になるが、その国の政治思想はむしろ申不害によって象徴される。法思想はもともと大衆を守るために発達したのであるが、その健全なかたちを残したのが斉であるのにたいし、韓では、法を君主の側から活用しようとして、そのやりかたを説いたのが申不害である。それゆえ斉人と韓人とでは法のみかたが正反対といってよいほどちがった。
はじめて法家思想にも違いがあることを知りました。
劉備に臣従するようになったのは、劉備から任侠の臭いをかいだわけではなく、王業あるいは覇業という未来図を劉備の上に画いたためであるが、諸葛亮が劉備に近侍するようになってからは、劉備は徐庶が画いた未来図を視ずに、諸葛亮の遠籌(えんちゅう)ばかりを覽るようになった。
ーー私は無益な存在になったらしい。
徐庶は失意の人となった。それは多くの人を活かすことができる組織をもっていない劉備の哀しさでもある。……
それから数年後に徐庶は病で卒した。
かれは劉備をつかって臥竜を起こし、その龍の背におのれの夢をくくりつけると、その夢を手放して、覇権を天空でつかむような飛翔につきあわず、老母の手をひいて地上を歩いたといえよう。その地上に龍の翳が落ちたのをみたにちがいないのに、一言の感想も遺さずに死去した。
徐庶についての最後の一文が心を打ちました。
徐庶の進退をふくめて、その心情を適切に表しているように思えます。
「ほう、子龍は、孔明とおなじ目をもっているのか。知の光は、おなじものを照らすらしい」
「英雄の見る所はほとんど同じ」と同じような表現。
ーー
さて、次は第七巻をスルーして第八巻から抜書する予定です。
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