実は昨年、紛失してしまったので買い直していた本。
- 作者: 村上龍
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2007/08/01
- メディア: 文庫
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久しぶりに書棚から引っ張り出しました。
本当に楽しい小説です。
初めて読んだのは大学生の頃だったから、かれこれ15年以上前、ということになります。
久々に読み返してみて、かなり影響を受けてたんだなー、と思います。
最も印象に残っているのは、以下の主人公の父親の言った言葉です。
「校長から、いろいろ言われる時、目をそらしたり、下を向いたりするな、卑屈になるなよ、別に威張ることはないが、卑屈にペコペコすることはないからな、お前らがやったことは、人殺しでもかっぱらいでも強姦でもない、信じてやったんだから、堂々と、処分を受けてこい」
涙が出そうになった。バリ封がばれた後、僕達は大人たちから攻撃され続けた。勇気づけてくれたのは、オヤジが初めてだったのだ。
「革命が起きれば、お前らは英雄かも知れん、吊るし首になるのは、校長の方かも知れん、そがんことさ」
そしてまた、あとがきが素敵。
数少ない例外の教師を除いて、彼らは本当に大切なものをわたしから奪おうとした。
彼らは人間を家畜へと帰る仕事を飽きずに続ける「退屈」の象徴だった。
・・・
楽しく生きるためにはエネルギーがいる。
戦いである。
わたしはその戦いを今も続けている。
ただ、その後2007年に追記された「文庫版あとがき」では、その後の日本社会の変化を踏まえて、こんなことが書かれています。
そして今、若い人に向かって「楽しんで生きないことは、罪なことだ」とアドバイスする余裕は、私にも日本社会にももうない。現在必要なのは「どう楽しんで生きるか」ではなく、さらに基本的で切実な「どうやって生きるか」という問いだからだ。
村上氏自身ももう50歳台なんだな、と気づきました。
私も30歳台の後半だし。
でも、それでもなお。
楽しく生きること、自由であること、基本的人権を平気で踏みにじってくる奴って、いつの時代でもいるものなんだ。
だから、その大切さは、常に感じ取れるようでありたい。
ついつい忘れちゃうんだよ、その大切さと、そして戦い続けなければならない、ってことを。
「退屈」にはなりたくないからね。