ぺーぺーぷーぷーな日々

Claris FileMaker と戯れる日々です。

高齢者へのPEG造設:CBEL受講回顧2


前回のエントリーの続きです。
認知症で意思表示できない、寝たきりの92歳の女性に対して、10組中9組が「PEG造設支持」。
私の所属したグループだけが、家族に対して造設の同意が得られるように説得は続けるべき、としながらも、PEG反対。


うんうん、やっぱりそうかもしれない。
本人が意思表示できないにもかかわらず、周囲が勝手に延命を打ち切るわけにはいかないんだろう。

そして、PEGは割と手軽で安全な処置でもある。それをやらないのは間接的安楽死なんだ。
さらに、川崎協同病院の件についての東京高裁・平成19年2月28日判決。
これは当事者にとっては重い。

倫理と法

正直、判例を指摘されて、「それなら初めから判例を教えてくれよ」と思ったりしたんだけど。
そしてこういった問題は、結局は立法による解決が図られるのが最も手っ取り早い、というか、本当はそれしか解決策はないのではないか、とも思えてくる。


しかしそうなると、いくら「倫理的な正さ」について議論を重ね、結論を出したとしても、やっぱり法律・判例の方が当事者にとって重要だとすれば、結局、倫理委員会や倫理コンサルテーションて何のためにあるんだろうか。
それなら初めから倫理じゃなくて、法律コンサルタントをすればいい。


まあ、法や実務を無視した倫理学なんて無意味だし、互いに補完しあうべきものだから、そのためにCBEL(Center for Biomedical Ethics and Law)には「Law」が入っているということなのでしょうか。

PEGの問題は意外に根深かった

私の勤める病院の療養病床は、入所者の約半分がPEGをしています。
それだけに今回の例題は身近なものでした。


私は医療従事者ではないけれど、正直なところ、PEG造設には懐疑的です。
もちろん患者さん自身が希望すれば別だけど、寝たきり・手足は拘縮・意思表示困難な状態で、チューブから栄養を注入されて最期の数年を過ごすというのは、当人にとって、どんな気持ちなんだろう。


そんな普段からの直感が、私の回答には多分に影響していたことは確かです。


それからもう1点。
現実的には、鼻腔経管栄養からPEGへの移行は止められないんじゃないだろうか。