かつてルーチンワークに落とし込まれていたはずの仕事がありました。
また、かつて様々な問題を日常業務の中で淡々と処理している人たちがいました。
また、黙々と気働きをしている人たちがいました。
ある人の口癖は、「そんなのピッピッピーのピューだよ」って感じで、まさに問題になる前に、日々地道に、未然に問題が処理されていました。
やがて、そういう人たちが去り、そういった地味な作業はいつのまにか形骸化していきます。
それまでは日常業務の中で処理されていたはずなのに。
全てを未然に処理したい。
仕事する上での理想は、「全てを未然に処理する」ことだと思っています。
話した内容は、やはり音楽はCulture(文化)である以上、語源となった日々のcultivate(畑を耕す)な活動の上に成り立つものじゃなかろうか、という話だったと思う。
http://www.senshu.asia/modules/d3blog/details.php?bid=620
仕事もそうありたいと真剣にそう思う。
私はイベントが嫌いなのです。
日々やるべきことを怠たれば、問題は日々積み重なることになる。
やがてそれが大きな問題となり、その問題を解決するために、いつのまにやら大々的にプロジェクトチームとか新規部署が立ち上がる。
立ち上った途端にその業務に対する認知度と評価はグッと上がる。
バカげた話だと思います。
それはイベントが目立っているに過ぎない。
まるで商業メディアに毒されたかのような反応の仕方だ。
やらなきゃいけないのは、地味な日々の作業なんだ。
困ったことに、そのイベントのために人員と時間が割かれる。
それ専門のスタッフが配置される。
専門スタッフはその業務しかしない。
評価されやすいのでお給料もお高めかもしれない。
しわ寄せは「暇そうな人・部署」に回ってくることになる。
「暇そう」と思われてしまう理由は、花形部署ではないから、とか。
要は目立っていない部署、または人。
実はそこでは、日々黙々と、一つ一つ問題を潰しているのかもしれない。
または圧倒的な事務処理能力のために様々な業務を自動化してルーチン化してサッサと仕事を片付けているかもしれない。
コンセプトは「できることをシンプルにやろう!」。
そこでは全てを未然に処理しているから、したがって問題が発生しにくい。
問題が発生しないから、周りから見ると何やってるのかわからない、なんて思われてしまう。
そして、そのことの重要性には意外と気付いてもらえない。
いつのまにか、できて当たり前になっている。
そこに気付かないから、業務がイベントとして立ち上ることになる。
コンセプトはいつもウォーターフォールモデル。
小さなことからスパイラルモデルで組み上げようという発想になれない。
シンプルにコンパクトに捌けない。
何でも大問題化して半狂乱になりながら仕事した方が目立って評価されるとなると、これでは、これまで他の業務を兼務しながらルーチンワークに落とし込んでテキパキと捌いてきた人にとってはたまらない。
繰り返しますが私は、
仕事する上での理想は、「全てを未然に処理する」ことだと思っています。
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