ぺーぺーぷーぷーな日々

Claris FileMaker と戯れる日々です。

競馬をみて学んだこと:その1:走るのは馬である

なるほど世の中は自分の思い通りにならない事のほうが多い。

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競馬なんだから当たり前なんだけど、レースを走るのは馬である。


馬券を当てようと思ってあれこれ考えたりするんだけど、大方の予想通りに好走するかと思えば惨敗することもある。予想外に激走することもある。結局、予想として当たったんだか外れたんだかもよくわからない。


だからレースの勝因・敗因については、ホントはお馬さん自身に尋ねてみたい、ってところがある。
だけど、残念ながらそれができない。相手は馬だし。だからこそ、逆にいろいろと思いを馳せることができるんだけど。
調教師さんとかだと、馬とどんな意思疎通をしてるんだろう。目標のレースに向けて馬の状態をピークに持っていける調教師ってスゴイもんだと思う。人間のアスリートだってその辺の管理は大変だろうに。
私も馬語を話したい。厩務員さんなら会話できるのか?


レースを走るのは馬である。つまりは、不確定要素が多い。
不確定要素としては、レースだけでなく競走馬の生産・配合にしたって、そうである。


血統は競馬の最も奥深い部分に違いないが、必ずしも強い馬から強い仔がでるとは限らないわけで、これも天のみぞ知るという側面がある。他力本願、とは仏教用語なので詳しくは語れないけど、「競馬」を「世の中」に置き換えれば、なるほど世の中は自分の思い通りにならない事のほうが多いと納得もするのである。良くも悪くも。馬券を当てようと必死になって情報を分析しても、思い通りに儲かるわけではない。それでも馬に思いを託してその走りをみつめるのである。まるで彼らの走る姿を人生のようにみつめるのである。勝手に託される馬も大変だろうけど。


自分の力で人生を切り開ける人はそれでよい。
でも、うまくいかない人生だって多い。


孔子は、「五十にして天命を知る」といった。
ここにいう「天命」とは、自分の力ではどうにもならない「天の命」というものがある、という意味に解釈することもできる。


ともかく、やるだけのことはやって、あとは天にまかせよう。
それは決して丸投げしているわけではない。
そう考えるようになってから、私は生きることが少し楽になった。



一方で、競馬の負の面というのか業の深さをみたいなことについても認識しているつもり。
そんななか、下記のようなプロジェクトを知りました。



ふるさと納税の制度を利用して、馬のために寄付ができるようなので、やってみようと思います。


[http://www.thankshorseproject.com/donation/:title]