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戦後経済史 私たちはどこで間違えたのか:野口悠紀雄

今年読んだ本のなかでも、印象に残っている本だったので今年のうちにメモ。


戦後経済史

戦後経済史


内容としては、日本の経済は戦時体制下で作られたものであり、戦後の高度成長にはたまたまそれが機能したものの、バブル崩壊後の世界経済の産業構造の転換には対応できずに遅れを取ってしまっている。
そういうことが読みやすく書かれています。


私は、政治の基本が市民を食わせることにあるならば、金融緩和や経済刺激策で株価を浮揚させるのは大いに結構なことだと思っています。
ただ、日経平均株価が2万円前後まで上がったにもかかわらず、日本の産業構造は本当に変わったのだろうか、周囲の仕事の内容は、相変わらず30年前から変わらなかったりするんじゃないなかろうか、そんなことをこの本を読んで考えさせられました。


恥ずかしながら、私の読んだ野口悠紀雄さんといえば「超整理法」だけで、経済学者としての野口さんの著書を読んだのは初めてだったんですけど。


そもそもの読んだきっかけは、NHKスペシャル「戦後70年 ニッポンの肖像 豊かさを求めて」でした。

80年代、地価、株価が急上昇、日本人が熱狂した“バブル”。株価は史上最高値の3万8千円を超え、当時、それは長く続くかに思えた。しかし突如、バブルは崩壊、その後、日本経済は“失われた20年”と言われる長期の経済停滞に見舞われ、今もそこから抜け出せずにいる。バブルはなぜ起きたのか、長い経済停滞からなぜ抜け出せないのか。徹底取材によって真相を探ると同時に、ゲストとともにこれからの日本を考える教訓を探る。



以下、抜粋。

戦前の日本では、株式や社債で企業が投資資金を調達する「直接金融」が中心であり、銀行借り入れで賄う「間接金融」の比重は低かったのです。革新官僚たちは、それを日本興業銀行を始めとする銀行が資金を供給する仕組みに変えていきました。一連の施策により、企業金融における銀行中心主義が確立され、株主の支配が排除されました。
(プロローグ)

90年1月3日の日本経済新聞には、次のような予測が書かれていました。  「堅調な景気や株式需給関係の良さを支えに、日経平均株価は年末に4万4千円前後へ上昇……主要企業の経営者20氏の今年の株価予想を集約するとこうなる」
(第5章 バブルも40年体制も崩壊した 1 バブル崩壊

その象徴として、「ノーパンしゃぶしゃぶ」という言葉があります。
(第5章 バブルも40年体制も崩壊した 3 大混乱に陥った大蔵省)

かつて、1台数億円もする大型コンピュータを使えるのは、大企業と政府、そして大学に限られていました。そうした組織の情報処理能力が圧倒的に高く、中小企業や個人との間に、画然たる差があったのです。また、大量・高速のデータ通信には専用回線が必要であり、これも極めて高価でした。  ところが、IT革命によって、この差が消滅したのです。大組織も中小組織も、そして個人も、情報処理の点では、同じ条件で仕事ができるようになりました。
(第6章 世界は日本を置き去りにして進んだ 3 IT革命がもたらした経済活動の大変化)

一般に、安倍晋三氏の政治姿勢は「超保守的」と言われます。しかし、国家介入を進めようとする姿勢は、政治的イデオロギーの観点からすれば、保守主義のそれではなく、社会主義のそれです。保守的な経済政策は、経済活動に対する政府の関与を最小限にとどめようとします。安倍内閣の経済政策は、これとは正反対です。
(エピローグ)


今年も経済のニュースとして、シャープや東芝のことが話題になりました。
携帯料金が高過ぎる、と政府からの指示もありました。
そんな記事をながめながら、この本の内容を思い返しております。