ぺーぺーぷーぷーな日々

Claris FileMaker と戯れる日々です。

叔父が亡くなりました。

2008年8月25日の14:44、埼玉に住む叔父が亡くなりました。
既に癌の告知を受け、余命数ヶ月を覚悟していたとはいえ、まだ57歳の若さでした。
叔父は、我が家の家系ではめずらしく、学問・芸術(作曲)の道に進んだ人でした。


私が叔父に最初に影響を受けたのは高校生の頃で、「大学選びを兼ねて、一度東京に来て見なさい」と叔父に誘われて、初めて東京へ行き、結果としてそれ以来、私は花の都大東京に憧れることになりました。当時、私は都会に何の魅力も感じていなかった田舎の少年で(今は田舎の中年ですが)、そんな私に叔父は、路線図といくつかの駅名と大学名の書かれたメモだけを渡して、「では、いってらっしゃい」という具合に私を送り出しました。「電車を乗り換える」という概念すら無かった田舎の少年は、「おお、都会の人は実に冷たいものだ」と思いながらも、それからの数日間、初めて標準語を話す環境に身を置き、初めて学問で飯を食う人の話を直に聞き、初めて都会の街を歩き、初めて路線図を見ながら電車に乗り、初めて大学のキャンパスに潜り込み、初めて見る「テレビで見慣れた風景」にワクワクしたのでした。
数年後、地元の大学を卒業した私は、結局東京へとドロップアウトすることになります。
私の人生が、割の合わない遠回りな方へ遠回りな方へ舵を切って行ったのは、実は叔父の影響が大きかったのかもしれません。


亡くなる4ヶ月前、叔父は私にメールで1通の原稿を送ってくれました。
「序論2 感性と音楽−生成音楽論−」と題されたその原稿は、建築学会から依頼されてのものだ、ということでしたが、メールには、「この原稿は、私の遺言として受け取ってほしい。」と書かれていました。


言語学者ノーム・チョムスキーの話から始まるこの原稿は、素人にも読みやすい文章で叔父の半生とその到達点への過程が綴られていました。しかしながら、遺言という言葉に戸惑ってしまった私は、結局、何の感想も伝えることができないまま、叔父の死を迎えることになってしまいました。もちろん的確な論評など私にできるはずもないのですが、我ながら申し訳なかったと悔やんでいます。


4月末に送られてきたメールには、
「今2冊目の本を作るべく、7本の論文を手直しして出版社へ送ってあります。」、そのほか「9月19日は、広島大学での建築学会の学会で、発表とコメンテーターを務めます。」といったことも書かれていました。最後まで音楽と向き合いながら、そして「自分が満足する仕事へ到達することが出来ました。」とも書かれていました。


最期に叔父の書いた本を紹介しておきます。

演奏法の基礎

演奏法の基礎

  • 作者:大村 哲弥
  • 発売日: 1998/12/10
  • メディア: ペーパーバック
告別式は8月29日に行われます。
私も明日から埼玉へ行き、叔父の冥福を祈りたいと思います。