ぺーぺーぷーぷーな日々

Claris FileMaker と戯れる日々です。

もうちょっと基本的なことからコツコツと積み上げようよ、と思うのだが。


結局のところ、私がコソコソとデータベースを構築したところで、データベースの考え方なんてものは、ほとんど浸透していないのかもしれない、と思わせることが数件ありました。
もしくは、地味な話よりも派手な話にばかり話題が集中しているとでも言うべきか。
現状をしっかり認識しながら、それとマッチさせつつ土台を固めつつ、あるべき姿を描いていく、っていうのは中々に難しいことらしい。


例えば、電子カルテと言えども、小さなツールやルーチンからスパイラルモデルで構築されていくのもひとつの理想だと思うんですが、経営者はやっぱり、電子カルテのような巨大なシステムは、ある日突然降って沸いたように発生するようなものだ、と相変わらず思っているのかもしれません。


逆に言えば、日々の情報をどのようなフォーマットで蓄積していけばいいのか、個々のプログラムをどのように組み合わせていけばいいのか、そのイメージが構築できていないとも言えるかもしれません。小さなパーツだけを並べても、それがリレーションでどのようにつながっていくのか、理解できていないのかもしれない。


降って沸くのが外注によるものだったりすると、それは笑えないオチなんだけど。
いや、笑い事ではなく、もしかすると今までの病院は、基本的にそうだったのかもしれない。


各部署からのデータベース化の依頼にしても、あるいは何となく便利なツールが欲しいだけだったり、あるいは自分のテリトリーや自分の成果のために私を囲い込もう(利用しよう)といった予算獲得型の依頼であったりで、それはどこかでやはりセクショナリズムを引きずっているのかも知れず、また、個々の依頼者の中には、知識集約としてのデータベースなんてものが全く想像できていないではなかろうかと思える人もいたりするわけです。


おまけに、まだ古い井戸には水が残っているのに次から次へと新しい井戸を掘ろうとする(オシム流の表現)傾向を持った人もいたりして、その実、各所へ分配するための配水管の配備には無頓着で、下手をすると、ただの我田引水だったりするんである。


もっとも、バラバラの依頼案件を繋いでいくのも自分の腕の見せ所だとも思っているので、私としてもそのために経理や総務や中央材料室を取材したり、病棟に顔を出して、日々の記録に追われる看護師さんのルーチンやパソコンのスキルを観察したりもしているんだけど。


まぁ、一口に外注とか出来合いのものを持ってくるといってもいろいろありえるし、自分たちだけで開発するのも大変なんだけどね。


でも、以前よりはずっとマシなんだと思いたい。


以下、だいぶ前のエントリーだけど、ちょっと引用。

こう考えると、そもそも、ソフトウェア開発を外注に出すというのは、そもそもかなり無理のある話なのだ。だって、ソフトウェア開発とは、経営的意思決定の集積なのだから、経営的意思決定を外部の会社に委託するというのは、「経営を外部の会社にやってもらうようなもの」だからだ。もっと言うなら、自分の会社の今後のビジネス的ポジションを、他社に決めてもらうようなものだからだ。外注を出された会社は、そのソフトウェアが未来に実現するであろうビジネス的価値を犠牲にして、できるだけ少ないコストで作ろうとする。というか、そもそも、顧客の会社のビジネス戦略を判断するのは、外注先の仕事ではないから、顧客の会社のビジネス戦略と矛盾したような構造のソフトウェアシステムを平気で作り込む。外注を出す側にとっては、ソフトウェアの中で行われた経営判断など、そもそもたいしてアテにしてないし、それが漠然とあったとしても、その価値はよく見えないから、できるだけ買いたたくことばかりに腐心する。どちらにとっても得のない、不毛で非人間的な作業でどちらも消耗することになる。
プログラミングとは経営判断の集積である - 分裂勘違い君劇場 by ふろむだ