ぺーぺーぷーぷーな日々

Claris FileMaker と戯れる日々です。

スピリチュアル・ペイン


先日9月28日は、院内講演会でした。


講師は、宮崎大学の板井孝壱郎 准教授(医学部 社会医学講座 生命・医療倫理学分野)。
演題は「スピリチュアル・ペインと臨床倫理−終末期医療と全人的苦痛−」。


「え? スピリチュアルをやるの?」というのが私の第1感。
私も「スピリチュアル」という言葉には、いかがわしさを感じていたのだが。
あまりにもいろんな意味に用いられているような気がして。
今回の講演で、板井先生は Spiritual Pain とは何かについて、Spiritual という言葉を Existential(実存)として捉えて説明して下さいました。
哲学用語連発の楽しい講演でした。

全人的苦痛のおさらい

終末期の患者は、以下の4つの苦痛を抱えているといわれる。

  1. 身体的・肉体的苦痛 (Physical Pain)
  2. 心理的・精神的苦痛 (Mental Pain)
  3. 社会的苦痛 (Social Pain)
  4. 霊的・宗教的?苦痛 (Spiritual Pain)

これら4つを合わせて「全人的苦痛(Total Pain)」と呼んでいる。
これは日本医師会「医師の職業倫理指針」にも出てくる用語になっている。
なぜ、1と2だけで足りないのかといえば、これまでの西洋医学では、1と2の痛みに対して、専ら薬による対処を主としてきた。しかし、例えば心理的・精神的苦痛に対して向精神薬を処方したところで「心の問題」に対して本当の対処にはならない。
だから、3と4は独立させて考えねばならない、ということらしい。

Existential Pain 〜人生の意味喪失からくる痛み

しかしながら、スピリチュアルという言葉の翻訳は、やはり難しい。というより不可能かもしれない。
そこで板井先生は Spiritual を Existential に置き換えて説明されました。


existence の訳は、「実存」や「現実存在」と訳される。これの対義語は essence で、訳すと「本質」。
この「本質」、「○○のために」という面から人間存在、存在理由を考えようとしても、なかなか有効な解答を導けない。つまり、自分が何のために存在しているのか、自分の本質がわからない。


つまり、実存は本質に先立つ(サルトル)というわけです。


ニーチェが「神は死んだ」といい、また、社会革命の夢が潰え、「大いなる物語」が終焉して人々から取り外されあと、むき出しの「個」の問題が残された。Spiritual Pain とは個人が自分と向き合うための哲学の問題、ということだ。そこをどうケアしていくのか。


板井先生の今回の講演はここまで。次回があるとすれば、この後、どう展開するのかな。

個の問題

となると、これは「終末期の患者」だけの問題ではない。であるならば、医療従事者はこの問題にどこまで関わることができるのだろうか。
また、本当に関わるべきなのか。逆に、医療従事者は「医療」分野に特化することも必要なのではないかと思わないでもない。
ちなみに、このテーマはヱヴァンゲリヲンエヴァンゲリオン)のテーマそのものでもある。改めてエヴァのDVDでも見返してみようかと思います。

蛇足

今回の講演に先立って、事前連絡などで「今回も"医の倫理"についての講演です」といった説明をする人が、いまだにいたんだけど、「医の倫理」という言葉の定義において、そこには、後の「生命倫理」などにくらべて患者や社会の視点が無い、という批判があることを、どれだけ認識しているんだろうか、と、少し落胆したりもしました。
学問慣れしていない人に限って、「そんな細かい定義なんぞ」と言ったりするのは毎度のことなんだが。