- 作者: 中条一雄
- 出版社/メーカー: ベースボール・マガジン社
- 発売日: 2008/08/07
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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日本サッカーが1968年メキシコ五輪で銅メダルを獲得した際の原動力となった人物であり、日本サッカーの父と呼ばれているそうです。
私がこのことを知ったのは、つい昨年のことです(笑)。
デットマール・クラマー(Dettmar Cramer、1925年4月4日 - )はドイツ・ドルトムント出身のサッカー指導者である。名前はデトマール・クラマーと表記されることもある。
日本においては、日本代表の基礎を作った事から「日本サッカーの父」と呼ばれる。
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1975年、クラマーはバイエルン・ミュンヘンを率いてUEFAチャンピオンズカップで優勝した。その際、人生最高の瞬間ではないかと問われたものの、「最高の瞬間は日本がメキシコ五輪で銅メダルを獲得したときです。私は、あれほど死力を尽くして戦った選手たちを見たことがない」と答えた。
デットマール・クラマー - Wikipedia
ああ、これほどまでに情熱を傾けて指導してくれた方が過去にいらしたとは。頭が下がります。
また、当時の話としてこんなことを語っています。
ボールを扱う基本的な技術ができていない。キックもヘディングも不正確。とくにロングパスが極めてまずい。ただし、長所はある。それは敏捷でスピーディ、反応が早く、小回りがきくところだ。
(第2章 目覚めへの旅)
既に日本の目指すべき方向を示していたってわけで、この方向性は現在においても通用する。
やはり優れた監督、指導者がいてこそチームは強くなるってわけだ。
そんなクラマーさんは現在90歳くらいでしょうか?
ぜひぜひ改めて日本へのコメントを聴いてみたい。
●●1960年代にサッカー日本代表チームを指導、モダンな風を吹き込み、発展に大きく寄与したドイツ人デットマール・クラマー。「日本におけるドイツ年2005/2006」関連イベントの「日独サッカー交流展」にちなみ来日した彼は、各所で日本サッカーへの情熱を説いて回った。休むことなく動き続けた11月11日からの一週間に、クラマーが残した言葉の数々をつぶさに拾った【インタビュー通訳:岡本美枝】●●
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/wcup/06germany/column/200512/at00006948.html