昨年話題になった本ですが、メモ。
あなたが私の教え子の大半と似ているならば、人間はみずから選んでもいない道徳的絆に縛られているという考えを嫌悪するかもしれないし、信じないかもしれない。そのせいで、愛国心、連帯、共同責任などの要求をはねつけるようになるかもしれない。あるいは、そうした要求をなんらかの合意から生ずるものとして定義し直すかもしれない。こうしたはねつけや再定義に気持ちが傾くのは、そうすれば、自由というなじみ深い考えと矛盾しなくなるからだ。これは、人間はみずから選んでもいない道徳的絆には縛られないという考え方である。自由であるということは、自分を拘束する責務はすべて自分で決めるということだ。
本書の全編を通じて考察してきたさまざまな事例を通して、私は、この自由の構想には欠陥があることを示そうとしている。だが、ここでは自由が唯一の争点ではない。もう一つの争点は、正義についてどう考えるかだ。
(第9章 たがいに負うものはなにか?−忠誠のジレンマ)
これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学
- 作者: マイケル・サンデル,Michael J. Sandel,鬼澤忍
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2010/05/22
- メディア: 単行本
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自分の意見というものが、実はどのような背景から出発していて、その背景となっている理論を展開していくとどのような結論に至るのか、ということを論理的に考えるという点では面白く分かりやすく読める本だと思います。
出てくる事例も面白い。
でも、私はどうやら「教え子の大半と似ている」らしい。
そんな私はリバタリアンなのかしら?
そもそもリバタリアンとコミュニタリアンが二項対立の問題なのかわからないんだけど。
まあ、ハッキリ言えば、サンデル先生の理論も歯切れが悪いなあ、と(上から目線)。
で、最近の私としては、あまりこの手の話には深入りしないことにしています。
若い頃のように夜を徹して議論するほどの体力もないわけでして(笑)。