多くの人々が「社会正義」を固く信じている。この語句が何を意味しているのか、本当は自分も知らないのだということに気づいたあとでさえそうなのである。
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(哲学論集 (ハイエク全集 第2期) > 第1部 理性と設計の幻想 > 3 先祖帰りとしての社会正義)
- 作者: ハイエク,嶋津格
- 出版社/メーカー: 春秋社
- 発売日: 2010/07/01
- メディア: 単行本
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ふとしたきっかけで、久々にモロに「哲学」と書かれた本を手にとった。
もちろん内容を理解する以前に読みこなすほどの知識はないんだけど。
ついでに、確固たる哲学も持っているわけではないんだけど。
フリードリヒ・アウグスト・フォン・ハイエク(独: Friedrich August von Hayek、1899年5月8日 - 1992年3月23日)は、オーストリア生まれの経済学者、哲学者。オーストリア学派の代表的学者の一人であり、経済学、政治哲学、法哲学、さらに心理学にまで渡る多岐な業績を残した。20世紀を代表するリバタリアニズム思想家。ノーベル経済学賞受賞。ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインは母方の従兄弟にあたる。
フリードリヒ・ハイエク - Wikipedia
この本に収録されているのは40年ほど前の論文集ということらしい。
後から気づいたんですけど。
理性の傲慢
帯には、こういう文章が書かれている。
社会の「設計」はどこまで可能か?
近代における理性の傲慢を批判し
「自主的秩序」の重要性を解く
ポスト近代はここから始まる
いいですねえ、「理性の傲慢」。
その概要は、「第1部」にイロイロ書かれています。
それから、ノーベル経済学賞受賞記念講演の一節も面白い。
社会科学ではたいていの場合、たまたま測定が容易なものが重要事項として扱われることになります。これは時に、われわれの理論は測定可能な数値のみに言及する言葉で定式化されなければならない、と要請されるようになります。
…
そこからそのような人々は、自らが測定できる要因のみが重要性を持つ要因なのだという虚構の下で、疑問ももたずに突き進むのです。
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(哲学論集 (ハイエク全集 第2期) > 第2部 社会科学ができること > 4 見せかけの知-ノーベル賞受賞記念講演)
このフレーズで私が連想したのは、
フッサールの『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』
だったりするんだけど、この話を競馬に例えると、早い話が、
どれだけデータを集めて分析してみたところで馬券は当たらない。
といったところでしょうか。
あ、競馬は社会科学じゃないか。
最近の円高を説明できない理由、そして根本的に有効な対策がとれない(というより抜本的な対策法がない)理由を、ハイエクの考え方なら説明できるのかもしれませんね。
もちろんその結論としては、政府が対策とろうとしても無理、てことになると思うんだけど。
既存の分配パターンに満足しない人びとは多いのだが、どんなパターンなら自分が正しいと考えるのか、についてだれも何ら明確なアイディアをもっていない。これは、調べてみればすぐ分かることである。あるのは、個々のケースを不正であるとする直観的評価だけである。一般的なルールで、それの適用があるすべての具体例で「社会的に正しい」ものを導きだすことができるようなルールは、ただの一つさえ見つかっていない。ただし、「同一労働同一賃金」のルールは例外である。
(哲学論集 (ハイエク全集 第2期) > 第1部 理性と設計の幻想 > 3 先祖帰りとしての社会正義)