色不異空 空不異色 (しきふーいーくー くーふーいーしき)
色即是空 空即是色 (しきそくぜーくー くーそくぜーしき)
私が20歳くらいの頃に読んだりした哲学の本は、ほとんどが西洋由来のもので(法律だってそうだ)、その後30歳を過ぎて「老子」を読むようになり、40歳になってこの般若心経を手にとってみました。
262文字に凝縮された空の哲学に触れてみたくなったというわけです。
- 作者: 玄侑宗久
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2006/09/01
- メディア: 新書
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以下、抜き書きなど。
ずっと昔から、人はなぜか「個」として自立することを、社会に生きる人間の目標に据えてきた。できあがった「個」が連携して世界を構成すると信じ込んできたのである。
(p10 はじめに)
「般若」の捉える「全体性」は、無常に変化しつつ無限の関係性の中にあり、それはいつだって絶えざる創造の場である。そこでは、我々の成長に伴って確立されるという自立した「個」も、錯覚であったと自覚される。そして自立した「個」を措定していたことこそが「迷い」や「苦しみ」の元であったと知るのである。
(p14 はじめに)
この教典は、すべてが理知によって解釈されるはずだという科学主義に対し「いのち」や「しあわせ」というリアリティーはそうではないのだと、いわば真っ向から挑戦状を突きつけている。
(p18 はじめに)
自分の若いころを振り返ってみても、自律した個の確立というのは至高の目的だったように思います。
しかしまた、「自分探しの旅」に出た結果、その旅からは容易に帰ってくることができないということを実感したのも私の二十代の事実で(笑)、そういった経験を踏まえて私の「世の中」に対する捉えかたや向き合い方も変化してきたように思います。最近ではあんまり、理念とか概念から世の中を見据えて、そのあるべき姿について議論するというようなスタイルを好んでいません。
ちなみに、この本を読みながら、「科学主義に対し」「挑戦状をつきつけている」というあたりで、ふと若い頃に読んだフッサールの現象学のことが頭に浮かんできたりしました。
要するに、ここでは今申し上げたような「五蘊」がみな実体ではなく、関係性の中で仮に現れた現象だと思っておいてください。
(p33 一、「般若心経」(大本)の訳)
「現象学的還元(エポケー)」とは、すなわちこういうことであったのかと思わなくもありません。
さーて、般若心経の暗唱に挑戦してみるか。
(無理だろうけど。)